大衆迎合主義(ポピュリズム)と直接民主制
大衆迎合主義(ポピュリズム)という言葉は、否定的な意味で使われがちですが、大衆の意向が反映されるということであるならば悪いことではないと思います。
しかし、ここでいう「大衆」が、本来の意味ではなく、マスコミによって編集された「大衆」であることが多いため、問題だと思うわけです。
様々な問題は複雑に絡み合っていて、多くの人(大衆)は、それらを俯瞰したうえで判断しているわけです。
そして、複雑であるがために、言葉で表現するのは難しいのです。
そのため、部分最適解しか見えていない人々がマスコミで重宝され、その意見ばかりが報じられることになるのでしょう。
その結果、「大衆は部分最適解を望んでいる」という誤解が生じるのでしょう。
本当の大衆の意向をくむためには、直接民主制が適していると考えます。
そんなわけで、ここからは直接民主制について考えてみたいと思います。
直接民主制に対する批判はいろいろありますが、そのなかで「衆愚」を指摘する知識人は上述の通り、大衆のことを勘違いしていると思われます。
また、誰もが反対するような政策、例えば増税のようなものは、直接民主制では決められないという意見があります。
しかし、これも克服できると思われます。
例えば、「消費増税に賛成ですか?反対ですか?」と問うのではなく、「消費増税と所得税増税のどちらがいいですか?」というように、複数の案の中から選ぶようにすれば、決められないということはないでしょう。
ただし、現状維持を望む意見もくむために、例えば、投票率が50%未満であれば無効とすることなども必要だと考えます。
マスコミによって編集された大衆に迎合する政治や、一票の格差が大きく不公平な現状よりは、国民投票・住民投票を多用するほうがより良い方向に進んでいけると考えますが、どうでしょうか?